自家採種できないって本当?──種苗法・F1種・日本農業の「6つの誤解」を解く

column_eco_seed自家採種できない 環境

「自家採種ができなくなった」「日本の種が外国に奪われる」
SNSやニュースで流れてくるそんな言葉を見て、不安になった人は多いでしょう。
けれど、実際のところは少し違います。

自家採種が禁止されたのは、登録された一部の品種だけ。
在来種や固定種は、今も自由に採ることができます。
F1種も法律で縛られているわけではなく、
“掛け合わせて作られた一代限りの種”という技術の話です。

では、なぜここまで混乱が広がったのか。
背景には、法律・経済・流通の変化が絡み合い、
現場の農家が「種をつなぐ自由」を少しずつ失ってきた構造があります。
そしてその構造を知らないまま、「支配」や「陰謀」といった言葉だけが一人歩きしてしまった。

この記事では、
・種苗法改正で何が変わったのか
・F1種は本当に“企業の利権”なのか
・自家採種が制限されると、農家や価格はどうなるのか
・海外で日本の種がどう扱われているのか
──そんな疑問に、制度と現場の両面から答えていきます。

結論を先に言えば、
「自家採種禁止=農業崩壊」ではありません。
けれど、“誰が種を守るのか”という問いは、確実に残っています。
それは、法でも企業でもなく、私たち一人ひとりの選択にかかっている。

ここから先では、その理由をもう少し丁寧に見ていきましょう。
不安を煽る話ではなく、構造を理解するための知識として。
食卓に並ぶ一粒の種が、どこから来て、どこへ向かうのか。
その輪郭を、一緒にたどっていきます。

【1】なぜ「自家採種できない」が話題になったのか

column_eco_seed【1】なぜ「自家採種できない」

ここ数年、「自家採種が禁止された」「企業が種を支配している」といった言葉を、SNSやYouTubeでよく目にするようになりました。
聞いた瞬間、心にざらっとした違和感が残る人も多いでしょう。
“自分の畑の種なのに、なぜ勝手に採ってはいけないのか”──そう感じるのは自然なことです。

けれど、拡散されている情報の多くは、一部だけを切り取った断片的な真実です。
法律・技術・経済の仕組みが複雑に絡み合っているのに、その背景がすっぽり抜け落ちたまま、
「支配」や「陰謀」というわかりやすい物語に置き換えられてしまったのです。

なぜこの言葉がここまで広まったのか。
その理由を探るには、まず“誤解が生まれた構造”を理解する必要があります。
焦点は「誰が悪いか」ではなく、「なぜそう見えるのか」。
この章では、情報の流れと制度のズレをたどりながら、社会に生まれた違和感を整理していきます。

1-1. SNSで広がった「支配」の物語

「農家が自分の種を使えなくなった」
「外資が日本の農業を支配している」

そんな投稿がSNSで何万件も共有されました。
背景にあるのは、「食の安全」や「国の自立」に対する本能的な不安です。
食べることは生きること。そこに“外からの力”が介入するように感じた瞬間、人は強い拒否反応を示します。

しかし、法律上「自家採種が禁止された」というのは正確ではありません。
実際に禁止されているのは、登録された品種を、育成者(開発者)の許可なく増やすことです。
たとえば、「シャインマスカット」や「コシヒカリBL」など、ブランド名を持つ品種がこれにあたります。

一方で、昔から地域で受け継がれてきた在来種や固定種は、今でも自由に自家採種ができます。
つまり、すべての種が禁止されたわけではなく、「知的財産として登録された一部の種」に限られているのです。

けれどSNSでは、その区別があいまいなまま情報が拡散しました。
「登録品種の一部が禁止」→「ほとんどの品種が禁止」→「すべての種が禁止」→「農業が支配される」。
この連想の飛躍が、世間に“恐怖の物語”を生んでしまったのです。

1-2. 法律改正とF1種の混同が混乱を広げた

もうひとつ、誤解が広まった大きな要因が、**F1種(エフワン種)**との混同です。

2020年の種苗法改正では、登録品種を無断で栽培・販売することが禁止されました。
背景には、海外での日本品種の無断流出が相次いだことがあります。
代表的なのが「シャインマスカット」や「あまおう」。
日本で長年の研究を経て開発された品種が、海外で勝手に増やされ、安価に販売されていたのです。

そのため法律は「育成者の権利を守る」方向へ強化されました。
けれどこのタイミングで、F1種という別の話題がSNSで同時に取り上げられます。

F1種とは、異なる親同士を掛け合わせ、1代目だけが安定した品質を持つようにした交配種のこと。
遺伝子組み換えではなく、自然の仕組みを利用した技術です。
しかしこのF1は、自家採種しても2代目以降で形や味がばらついてしまう。
そのため農家は、毎年同じ品質を維持するために新しい種を購入します。

つまり、「自家採種できない」のはF1という技術の性質であって、法律で禁止されているわけではありません。
ところがSNS上では、「法律でF1の種しか使えなくなった」と誤解され、
「企業が農業を支配している」という話にすり替わっていったのです。

1-3. 「自由を奪う構造」への違和感

実際のところ、制度も技術もそれぞれ合理的な理由があります。
法律は知的財産を守るため、F1は品質と効率を安定させるため。
どちらも“悪意”ではなく“仕組み”です。

けれど、制度と技術と経済が同じ方向に偏ると、
結果として「自由を奪われたように感じる」社会が生まれます。

毎年、企業の種を買い、契約のもとで栽培し、販売ルートも指定される。
その構造が続けば、たとえ法律上は自由でも、心の中では「自分の農業じゃない」と感じてしまう。
それが、今の“自家採種できない社会”に対する違和感の正体です。

次章では、この「制度」の部分をもう少し丁寧にほどいていきます。
種苗法とはそもそも何を目的に作られたのか。
そして、2020年の改正で何が変わったのか──。
表面的な「禁止」「自由」の対立を超えて、仕組みそのものを見ていきましょう。

【2】種苗法改正で何が変わったのか

column_eco_seed【2】種苗法改正

ニュースで「種苗法が改正された」と聞いても、内容を具体的に説明できる人は多くありません。
自家採種が制限されたといっても、それは何のために、どこまで、どう変わったのか。
ここを整理しないまま議論が広がったことが、誤解の大きな要因になっています。

この章では、まず種苗法という法律の目的を明らかにし、
続いて改正の背景と具体的な変更点を見ていきます。
どんな課題を解決するために作られた制度だったのか──。
そして、それがなぜ「自由を奪う法律」に見えてしまったのかを、構造から理解していきます。

2-1. 種苗法とは何のための法律か

種苗法(しゅびょうほう)は、簡単に言えば**「種を開発した人の権利を守るための法律」**です。
新しい品種を育てた農家や企業(=育成者)は、その品種に対して「育成者権」という知的財産権を持ちます。
これは音楽や本の著作権と似た考え方で、「他人が無断でコピーして利益を得ないようにする」ためのものです。

法律の目的は、「努力して開発した人が正当に報われる」こと。
種を改良するには、10年以上の研究と多額の費用がかかります。
その成果が勝手に使われれば、次の開発が止まってしまう。
つまり、種苗法は“農業の研究開発を支える制度”なのです。

では、なぜこの法律が「自家採種の禁止」と結びついてしまったのか。
それは、知的財産を守るために登録された品種(登録品種)だけが、権利の対象になっているからです。
登録品種を、許可なく採種・販売・譲渡すると「権利侵害」になります。

ただし、すべての作物が対象ではありません。
登録されていない在来種や固定種は、これまで通り自由に自家採種ができます。
つまり、禁止されたのは「登録された特定の品種を、権利者の許可なく増やすこと」だけ。
そこを正しく理解しないと、「すべての種が禁止になった」という誤解が生まれてしまいます。

2-2. 改正のきっかけ:海外流出とブランド保護

2020年の改正の背景には、海外への無断流出という深刻な問題がありました。
象徴的なのが「シャインマスカット」。
日本で育成され、長い年月をかけてブランド価値を築いたこの品種が、
中国や韓国などで勝手に栽培され、安価で販売されるようになったのです。

その結果、日本の生産者は価格競争にさらされ、
ブランド価値を維持するのが難しくなりました。
こうした事態を受けて、政府は「品種の海外流出を防ぐ仕組み」を急ぐことになります。

改正では、登録品種の栽培地域の指定海外持ち出しの制限が強化されました。
つまり、「この品種はこの地域だけで作ってよい」「海外に持ち出すと罰則がある」というルールを明確にしたのです。

一見すると自由を制限するように見えますが、
目的は「守るべきブランドを守る」ことにありました。
開発者の権利を守り、国内産業の競争力を維持する。
それが、改正種苗法の大きな狙いだったのです。

2-3. 改正で禁止されたこと・変わらないこと

では実際、何が変わったのでしょうか。
改正前後で整理すると、こうなります。

変わったこと
・登録品種の自家採種が、許可なしではできなくなった
・海外への無断持ち出しが禁止された
・罰則が強化され、違反した場合の処罰が明確になった

変わらないこと
・登録されていない在来種・固定種の自家採種は自由
・自家消費用の栽培は制限されない(登録外なら問題なし)
・登録期間が切れた品種は自由に採種できる

つまり、「全面禁止」ではなく、登録品種をどう扱うかを厳密にしたということです。

ただ、現場では「どれが登録品種なのか」「契約でどこまで制限されるのか」がわかりづらい。
この“わかりにくさ”が、「全部ダメになった」という誤解を広げました。

そしてもう一つ大きな問題は、法律が変わっても現場の負担は軽くならなかったこと。
農家は種を買い続けるコストを背負い、行政も監視や許諾の仕組みを整えなければならない。
守る側も、守られる側も疲弊しているのが実情です。

種苗法の改正は、「悪意のある法律」ではなく、「知的財産を守るための制度強化」でした。
けれど、現場の感覚では“守られている”より“縛られている”ように感じてしまう。
そのねじれが、今日の混乱の根っこにあります。

【3】自家採種が制限された“本当の理由”

column_eco_seed【3】自家採種が制限

「自分で育てた作物の種を、来年またまく」
それは農業の原点とも言える行為です。
それが法律で制限されると聞けば、反発が起きるのは当然です。

けれど、ここで整理しておきたいのは、「すべての自家採種が禁止されたわけではない」という事実です。
制限されているのは「登録された特定の品種」だけ。
では、なぜそんな区別が生まれたのか。
この章では、登録品種と在来種の違い、実際にどこまで採種できるのか、そして“黙ってやればバレないのか”という現実のグレーゾーンを見ていきます。

3-1. 「登録品種」と「在来種・固定種」の違い

まず押さえておくべきは、「登録品種」と「在来種・固定種」はまったく別の存在だということ。

登録品種とは、民間企業や研究機関、行政などが長年の研究を経て開発した新品種で、国に登録されたものです。
この登録によって「育成者権」という知的財産権が与えられ、開発者は一定期間、その品種の販売や採種を独占できます。
たとえば、「シャインマスカット」や「こしいぶき」「あまおう」などが代表的です。

一方、在来種や固定種は、地域の農家が世代を超えて受け継いできた“土地の記憶を持つ種”です。
長い年月をかけてその土地の気候に適応してきたもので、登録されていないため自家採種も自由です。
つまり、法律で制限されているのは登録品種のみであり、伝統的な種を守り続ける行為は今も合法なのです。

ただし、現代の農業では登録品種の比率が増えています。
米、野菜、果樹などの多くがブランド化・改良化され、
「登録されていない種」を探す方が難しいほどになっている。
この現実が、「自家採種ができない」という印象を強めています。

3-2. 農家はどこまで自家採種できるのか

法律の条文では、「登録品種を育成者の許諾なく採種することを禁止」と定められています。
つまり、権利者(企業や研究機関など)の許可を得れば、自家採種は可能です。
実際には、契約で明確に「再利用禁止」とされている場合が多く、
許可を得る手続きが煩雑なことから、事実上「できない」に近い状態になっています。

では、登録外の作物はどうか。
在来種や固定種なら、今でも採種・保存・販売が自由に行えます。
問題は、そうした種が減ってきていること。
「儲かる」農業を目指すほど、収量や病害への耐性が高い登録品種に頼らざるを得ない。
この構造が、自家採種の余地をどんどん狭めています。

さらに近年では、種の販売時に契約で採種禁止を定めるケースも増えました。
たとえ法律上は自由な品種でも、契約によって制限される。
結果として「法的にOKでも、実質的にはNG」というグレーな現実が広がっているのです。

3-3. 黙ってやればバレない?罰則と現実のライン

「正直、黙ってやればバレないんじゃないか」
農家の現場で、そんな声を耳にすることがあります。

確かに、広大な田畑の中で誰がどの種を使っているかをすべて把握することは困難です。
実際に摘発されるケースは多くありません。
けれど、登録品種を無断で採種・販売すれば、10年以下の懲役または最大1,000万円の罰金という重い罰則があります。

つまり、見つからないからやっていい、ではなく、
「リスクを農家自身が背負う時代」になってしまったということです。
かつては地域で助け合い、種を分け合う文化がありました。
今はその“分け合う”こと自体が法的にグレーになりつつあります。

種を守りたいという思いと、制度の壁との間で揺れる農家。
そこに生まれた“静かな抵抗”が、SNSで語られる「自家採種できない社会」という言葉の背景にあるのです。

自家採種をめぐる問題は、法律の話だけではありません。
経済構造・流通・消費者のニーズまでも絡んでいます。
次章では、その中心にある「F1種」という仕組みを見ていきます。
効率を求めた結果、私たちはどんな代償を支払っているのか──。

【4】F1種とは何か──“効率”の裏にある構造

column_eco_seed【4】F1種とは

「F1(エフワン)」という言葉を聞いたことがありますか。
ニュースではなく、スーパーの野菜売り場でも、実はあなたの目の前にあります。
私たちが食べているトマトやナス、キャベツの多くが、このF1という仕組みで生まれたものです。

けれど、最近では「企業が作った一代限りの種」「農家が自立できなくなる仕組み」といった声も聞こえます。
確かにそう感じるのも無理はありません。
毎年、同じ種を買い続けなければならないのだから。
でも、少し立ち止まって見てみると、このF1という仕組みは「支配」ではなく、“工夫”の積み重ねから生まれたものでした。

4-1. F1種の原理とメリット

F1とは、“一代雑種”と呼ばれる品種のこと。
違う親どうしを掛け合わせて生まれた、最初の子どもを指します。

たとえば、病気に強い親と、実が大きい親を掛け合わせる。
すると、その子どもはどちらの良い性質も引き継ぎ、
「病気に強くて実が大きい」作物になる。
これがF1の基本的な考え方です。

ただし、その子ども(F1)から種をとって次の世代を育てると、
遺伝がばらつき、形も味も安定しません。
だから、農家は毎年、“最初の子ども”だけを買う

この仕組みは遺伝子操作でも陰謀でもなく、
自然の仕組みを応用した、昔ながらの育種技術なんです。
F1の登場で、作物の品質は飛躍的に安定しました。
形も大きさも揃い、収穫量も増え、市場に均質な野菜が並ぶようになった。
つまり、F1は「農家の苦労を減らし、消費者に安定を届ける」ための発明だったわけです。

4-2. 「F1=利権」という誤解

それでも、「F1は企業の儲けの仕組みだ」と言われるのはなぜでしょう。
たぶん、それは“構造の見え方”の問題です。

F1は自家採種しても同じ品質が出ない。
だから、毎年、種を買い直す。
結果的に、企業が種の供給を握る構造が生まれました。

もちろん、そこに「独占」や「支配」を意図した悪意はありません。
けれど、結果的に農家が依存せざるを得ない状況ができあがった。
その感覚が、“利権”という言葉で語られているのだと思います。

F1の技術が広まった当初、誰もが希望を見ていました。
台風が来ても倒れにくい、病気が出にくい、味も安定している。
農家が安心して収穫できる、消費者も安定して買える。
“効率化”は“安定”の別名でした。

けれど、どの畑でも同じ品種を作るようになると、
市場全体が一つの仕組みに縛られていく
それがいつのまにか、「自由を失う構造」に変わってしまったんです。

4-3. F1普及がもたらした多様性の喪失

F1は、農業の景色を変えました。
どこの畑に行っても、同じトマト。
同じカボチャ。
同じ色、同じ形。

昔の農家には、土地ごとの「味」がありました。
雨の多い土地では皮が厚く、寒い地域では甘みが増す。
そうした地域の記憶を持つ種は、F1の波に押されて減っていきました。

F1が悪いわけではありません。
安定と効率がなければ、今の食卓も成り立たない。
けれど、その裏で失ったものも確かにある。
それは、“人と土地の関係”という記憶です。

F1は「進歩」と「喪失」が同居する技術です。
支配でも陰謀でもなく、私たちの社会が選び取ってきた合理の形。
問題は技術そのものではなく、選択肢が減っていくことなんです。

【5】登録品種の増加と、農家の自由の縮小

column_eco_seed【5】登録品種の増加

F1が「効率」を広げた時代に、もう一つの流れが静かに進んでいました。
それが、登録品種の増加です。
これはつまり、「種そのものが知的財産になっていく時代」の始まりでした。

一つの種を作るのに、何年もの研究と費用がかかる。
それを守るための法的な仕組みが種苗法であり、
「登録」というのは、開発した人の努力を守るための“特許”のようなもの。

けれど、その登録が増えれば増えるほど、
農家が自由に使える“共通の種”は減っていく。
この章では、なぜ登録品種が増えたのか
そしてその結果、農家の自由がどのように狭まっていったのかを見ていきます。

5-1. 登録品種が増えた背景と現状

登録品種制度が始まったのは1978年。
当初は、民間企業よりも公的機関(農研機構や県の試験場)が主な開発者でした。
しかし2000年代以降、流れが変わります。

国や自治体による**「種子法の廃止(2018年)」**がその転換点でした。
もともと国や県が主要作物(米・麦・大豆など)の種を安定的に供給していましたが、
廃止によってその役割が民間へと移ります。
すると、企業が開発・登録を進めるようになり、登録件数は急増しました。

結果、今では市場に出回る主力作物の多くが登録品種。
とくに果樹や野菜の分野では、ほとんどが知的財産として保護されています。
つまり、農家が新たに自家採種できる“自由な種”は、
制度上では残っていても、現実的には選択肢がほとんどないのです。

5-2. 農家が自由に種を採れない構造

農家の多くは、いま“契約の中”で農業をしています。
登録品種を使うには、育成者(企業や公的機関)との契約が必要です。
その契約には「自家採種の禁止」「指定の販売ルートでの流通」などが含まれます。

つまり、法律ではなく契約によって自由が制限される時代になったのです。

契約を結ぶことで、一定の品質や販売先が保証されるという利点もあります。
けれど、契約の網が広がるほど、
「農家が自分で判断して種を採る」という行為ができなくなる。

昔のように、となりの農家と種を分け合う文化は消え、
「この種は、うちではもう取っちゃダメらしい」と口にする農家も増えました。
法的には“禁止”でなくても、心理的なブレーキがかかっている。
そうして、少しずつ「自分で決める農業」が失われていったのです。

5-3. 採種・保存技術が途絶えるリスク

もう一つの大きな問題は、技術の継承が途絶えていくことです。
自家採種には、気候や土壌、時期の見極めといった繊細な技が要ります。
それは単なる“作業”ではなく、“土地の記憶”をつなぐ行為でした。

けれど、種を毎年購入するのが当たり前になると、
その技術を持つ人が減っていきます。
「もう、うちでは種を採れないから」と話すベテラン農家の言葉には、
どこか寂しさがにじみます。

種を買うことが悪いわけではありません。
問題は、採る技術が失われること
いざというとき、気候変動や災害で供給が途絶えたとき、
地域に“自分の種”が残っていなければ、再生が難しくなる。

登録品種が増えたことで守られたものもある。
けれど、その裏で失われつつあるものも、確かにある。
それは、数字では測れない“土地の知恵”という財産です。

いま、農家の多くは「法律ではなく契約に縛られる時代」に立っています。
制度としての自由は残っていても、現場の自由はすでに薄れている。
次章では、その現場の声にもう少し耳を近づけます。

「種が高くなっても、野菜の値段は上がらない」
「辞める農家が増えている」
「自家採種をこっそりやっている人もいる」
そんな素朴な疑問を、事実ベースで解いていきましょう。

【6】よくある疑問6つに答える

column_eco_seed【6】よくある疑問6つ

種苗法やF1種の話をすると、必ず出てくる素朴な疑問があります。
「自家採種できないなら野菜の値段が上がるんじゃないの?」
「農家、もうやってられないんじゃない?」
「黙って種取ってる人、いるでしょ?」
そんな声の多くは、実際に農家が感じている“モヤモヤ”でもあります。

この章では、SNSや現場でよく交わされる6つの疑問に、
データと現実の両方から答えていきます。
一つひとつの答えの中に、いまの日本の農業が抱える構造が見えてきます。

6-1. 自家採種できないと野菜の値段は上がる?

結論から言うと、すぐに値段が上がるわけではありません。
種の価格は、野菜全体のコストの数%にも満たないからです。
たとえばトマトの場合、種代が1袋数百円〜数千円でも、
収穫量を考えると1個あたり数円にもならない。

ただし、「上がらない」と言い切るのも違います。
登録品種が増えると、農家は毎年新しい種を買い続ける必要がある。
それが積み重なると、“原価の固定化”が起きるんです。
つまり、天候不良や燃料費高騰のように値段が下がる要素があっても、
“種代は下がらない”。結果として、
消費者が手にする野菜の価格がじわじわ“下がりにくくなる”構造になっています。

6-2. 農家が辞めるって本当?

これは、半分は本当です。
ただし「種苗法のせいで辞めた」わけではありません。

農家が離れていく一番の理由は、採算と継承の問題です。
燃料・肥料・人件費が上がる中、販売価格は上がらない。
後継者も少ない。そこに、登録品種の契約や制限が重なる。
「なんだか自由がなくなった」と感じる人が増えているのは事実です。

特に、自家採種を続けてきたベテラン農家ほど、
「種を採るのがダメだなんて、なんかおかしい」と感じやすい。
制度としての制限より、心の自由の喪失が離農を後押ししている。
その心理的な“重さ”が、現場の変化を加速させています。

6-3. 自家採種を“こっそり”やってる農家もいる?

あります。
法律や契約で制限されていても、現場では小規模に続けている人もいます。

特に昔ながらの農村では、地域に根づいた在来種がまだ残っており、
「これは登録品種じゃないから」と、静かに採種を続けている。
ただ、登録品種を黙って採ることは法律違反です。
罰則もあります。

つまり、今の現場は「やってはいけない」と知りつつも、
「やめる理由が見つからない」人たちの狭間にある。
それは“反抗”ではなく、“文化を守る本能”に近いものかもしれません。

6-4. F1種って結局、企業の利権?

F1を利権と見るか、技術と見るかで、答えは変わります。
F1自体は企業が作り出した構造ではなく、遺伝学の応用です。
ただ、結果的に企業がF1の開発と供給を担うようになった。
だから、構造としては「企業に依存せざるを得ない」。

利権というより、依存構造の副作用と言ったほうが近いです。
種の供給が少数の企業に集中すれば、選択肢は減る。
価格も上がる。
それを“支配”と感じるのは、無理もありません。

でも本質は、F1という技術そのものではなく、
「多様な種を残す仕組みを作れなかったこと」なんです。

6-5. 種苗法って日本農業を潰すの?

そんな単純な話ではありません。
種苗法自体は“守るための法律”です。
品種を開発した人や企業が報われなければ、新しい作物は生まれない。
そうなれば日本の農業はむしろ停滞してしまう。

ただし、現場では“守る”よりも“縛る”側面が強く感じられる。
とくに小規模農家にとっては、契約やコストの負担が重くのしかかる。
つまり、法律そのものが悪いのではなく、
制度を運用する仕組みが現場に合っていないということ。
そこをどう調整できるかが、今後の焦点になります。

6-6. 自家採種の海外流出って本当にあるの?

あります。しかも、きっかけは意外なほど小さなことからでした。

代表的なのは「シャインマスカット」。
農家や関係者の一部が海外に苗や枝を持ち出し、
現地で栽培・増殖されたケースが複数報告されています。
結果、日本で長年かけて育てたブランド品種が、
海外市場で“日本産より安く”売られるようになった。

つまり、改正種苗法は“自家採種を禁止するため”ではなく、
海外流出を防ぐための防衛策として作られたのです。
しかし、その防衛の副作用が国内の農家にも及んだ。
「外を守るために、中が縛られた」構造です。

これらの6つの疑問を整理すると、
問題の本質は「禁止」や「利権」ではありません。
自由と保護のバランスが崩れたまま放置されていることです。

【7】種が海外に渡った日──「シャインマスカット問題」が示したもの

column_eco_seed【7】種が海外に渡った

2020年ごろから、海外の市場に“日本のはずの果物”が並び始めました。
見た目も味も、ほとんど同じ。けれど、値段は半分。
その代表例が「シャインマスカット」です。

この章では、なぜ日本で開発された品種が海外に広まり、
結果的に「日本の種が日本を苦しめる」という構図になったのか。
その経緯と、今も続く現実を整理します。

7-1. きっかけは“善意の持ち出し”だった

シャインマスカットは、もともと農研機構(国の研究機関)が開発した登録品種。
糖度が高く、皮ごと食べられるという特長で、国内でも人気が急上昇しました。

しかし、登録から約10年後──
中国や韓国をはじめ、東南アジア各地で「同じ品種」が栽培されるようになります。
その多くは、個人や業者による“持ち出し”が原因でした。

「海外でも喜ばれると思った」
「販売のためじゃなく、研究用に送った」
最初は、そんな善意の行為から始まったとも言われています。
けれど、その“わずかな苗”が現地で増やされ、
やがて商業生産にまで拡大していきました。

7-2. 海外で“自家採種”された現実

日本から渡ったシャインマスカットは、
海外で自家採種や接ぎ木によって増やされました。

当時の最大の問題は、日本の種苗法が国内でしか効力を持たなかったことです。
つまり、日本で開発された登録品種でも、
海外で増やされれば日本の法律では止められない
しかも、海外での品種登録(国際出願)をしていなかったため、
現地では「違法」ではなく、“合法的に栽培できる種”として扱われてしまったのです。

結果、中国や韓国では現地農家が自家採種を繰り返し、
市場には“現地産のシャインマスカット”が大量に出回るようになりました。
これが、日本のブランド果実を追い詰めた構造です。

では、今はどうなっているのか。

2020年の法改正以降、日本では海外出願の仕組みが整い、国際保護が強化されました。
農林水産省や農研機構は主要な登録品種について、
UPOV(植物の新品種保護に関する国際条約)を通じて、
海外でも権利を主張できるよう手続きを進めています。

その結果、無断の自家採種や輸出は各国で順次規制対象になりつつあります。
たとえば中国でも、シャインマスカットの“コピー品”に対する
法的対応が進み、輸出差し止めや損害賠償の例も出てきました。

とはいえ、これは「完全に止まった」という話ではありません。
アジア圏の一部では、依然として小規模な自家採種や流通が続いています。
登録のない在来型品種や類似種が混在し、線引きが曖昧な地域も多い。

つまり今の現実は、
「制度上は守られているが、現場ではグレーが残っている」という状態です。

種は国境を越えても、紙の契約は追いつかない。
それがこの問題の難しさであり、
“自然物を法で守る”ことの限界でもあります。

7-3. “ブランド喪失”という二次被害

日本の農家が何十年もかけて育てた品種が、
海外で“模倣ではなく本物”として出回る。
それは、単なる経済的損失ではなく、ブランドの喪失を意味します。

中国の市場では、「日本産」と書かれていなくても、
見た目が同じであれば消費者は区別できない。
しかも、現地の生産コストが安いため、
“本家”よりも安く売れる。

結果、日本の果物の輸出競争力が落ち、
「日本で作ったほうが高い」という逆転現象が起きました。

これは、知財を守らなかった代償であり、
同時に、現場への周知と対策が遅れた結果でもあります。

7-4. 海外流出は他の作物にも

流出の例はシャインマスカットだけではありません。
イチゴ(あまおう・紅ほっぺ)、さくらんぼ(佐藤錦)、
さらには米やジャガイモなどでも同様のケースが確認されています。

とくに韓国や中国では、日本の品種を基にした改良種が次々に生まれ、
「Kシャイン」「紅ほっぺ改良型」などの名前で流通。
それらはもはや“コピー”ではなく、現地産のオリジナルとして根づいています。

つまり、日本が守ろうとした知的財産は、
“守る前に世界に広がってしまった”のです。

7-5. 改正種苗法の“本当の目的”

2020年の種苗法改正は、この海外流出事件を受けて行われました。
目的は「自家採種の禁止」ではなく、
「登録品種を海外に持ち出させない」ための防御策です。

具体的には、登録品種を栽培・譲渡・輸出する際に、
育成者(開発者)の許諾が必要になりました。
しかし、その法改正が報じられると、
「農家の自由を奪う法律」として反発が広がった。

誤解を招いたのは、“意図の伝え方”でした。
政府の説明は制度中心で、現場への言葉が足りなかった。
結果、“守るための法”が“縛る法”として受け取られたのです。

7-6. 種は“情報”になった

この出来事が示したのは、
種が「自然の恵み」から「知的資産」に変わったという現実です。

かつて種は、土地と共にありました。
しかし今では、データベースに登録され、契約で守られ、
グローバル市場で取引される“情報”になった。

その変化は、農業を工業化・情報化する流れの中では避けられなかった。
けれど、種が情報になった瞬間、土地とのつながりが切れた
それが、いまの農業の根底にある不安の正体かもしれません。

海外流出は、制度の穴を突かれた事件でした。
しかしそれは、制度の問題だけではなく、
「誰のために種を守るのか」という根本の問いを突きつけています。

【8】誤解されがちな「陰謀論」と“本当の構造”

column_eco_seed【8】誤解されがちな「陰謀論」

種苗法の改正やF1種の普及をめぐって、
「多国籍企業が日本の農業を支配する」「種を奪われる」という話を見かけます。
SNSでは、制度への不信と“陰謀論”が入り混じり、
真実よりも恐怖のほうが早く拡散していく。

けれど、現実はもっと地味で、もっと構造的です。
悪意の物語よりも、仕組みの複雑さと時間のずれが原因になっている。
この章では、その「すれ違いの正体」を解いていきます。

8-1. なぜ“種の支配”論が広がったのか

発端は、「自家採種が禁止された」というニュースでした。
多くの人が、「国が種を取り上げた」と感じたのです。

実際には、禁止されたのは登録品種に限った話であり、
在来種や非登録品種はこれまで通り採種が可能です。
ただ、その説明が十分に届かなかった。

さらに、F1種(交配種)の存在が混乱を招きました。
F1種はもともと遺伝的に安定しない性質を持つため、
自家採種しても同じ品質が再現できません。
これは自然な現象であって、“意図的な仕掛け”ではないのですが、
仕組みを知らないと「企業が種を独占しているように見える」。

そこに、海外の巨大企業(モンサントやバイエルなど)の影響が語られ、
「日本の種も奪われる」というストーリーができあがった。
本来は別の文脈にある制度や品種開発が、
一つの“脅威の物語”として結びつけられてしまったのです。

8-2. 「悪意」ではなく「制度と技術の偏り」で説明できる

制度の根底にあるのは、“悪意”ではなく“偏り”です。
たとえば、品種登録制度は知的財産の保護を目的としていますが、
そのルールは大規模な企業や研究機関に有利に働く設計になっています。
登録や国際出願には費用がかかり、個人農家には手が届きにくい。

同様に、F1種の普及も「企業の戦略」というより、
市場が安定供給を求めた結果でした。
形が揃って日持ちする野菜が求められ、
そのニーズに応えたのがF1種だった。

つまり、「支配」というより「効率の帰結」。
しかしその効率化が、
多様性の喪失や地域種の衰退という副作用を生んだのです。

そして、こうした制度や市場の偏りを正す手段が、
まだ十分に整っていない。
だからこそ、誰かが意図的に仕組んだように見えてしまう。
実際は、長年放置された構造的な歪みが形を変えて噴き出しているだけなんです。

8-3. 構造を知ることで、対立を越える

種を守りたい人と、制度を守りたい人。
どちらも、立場が違うだけで“守ろうとしているもの”は同じです。
問題は、感情と制度のあいだに言葉の橋がないこと。

自家採種を守る人たちは、
「土地の記憶を受け継ぐ文化」を守ろうとしています。
一方、制度側の人たちは、
「知的財産を守ることで研究開発を支える」構造を維持しようとしている。

どちらも必要です。
ただ、それぞれの“守る対象”が違うだけ。

だから、必要なのは否定ではなく翻訳です。
制度の文脈を生活の言葉に置き換え、
生活の実感を制度に届く言葉に変えていくこと。

「誰が悪いか」ではなく、「何が偏っているのか」を見つめ直す。
そこに、真の対話の入口があります。

“陰謀論”が生まれるのは、人が不安を感じるからです。
そしてその不安の奥には、
「自分の手の届かないところで何かが決まっている」という無力感がある。

けれど、本当に必要なのは恐れることではなく、知ること
制度の仕組みを知ることは、支配からの抵抗ではなく、
“共存のための理解”に変わっていきます。

【9】希望の芽──多様性を取り戻す新しい動き

column_eco_seed【9】希望の芽

「日本の農業はもうだめだ」と言われることがあります。
けれど、畑に立つと、そんな言葉が嘘のように感じる瞬間があるんです。
失われかけた種を守ろうとする農家がいて、
地元の味を受け継ぐ人がいて、
新しい形で支えようとする消費者がいる。

“終わり”ではなく、“もう一度はじまりをつくる”──
そんな静かな動きが、全国で少しずつ芽を出しています。

9-1. 自治体が守る「地元の種」

国の「種子法」がなくなったあと、
北海道や山形、宮崎など多くの県が、**独自の「種子条例」**をつくりました。
目的はシンプルで、「地域の種を、自分たちの手で守る」こと。

たとえば山形では、ブランド米「つや姫」を育て続けるために、
県が中心となって種の生産と管理を続けています。
福井や宮崎でも、在来の麦や大豆の採種を
公的に支援する仕組みが残されています。

国が手を離しても、地域が拾い上げる。
そんな動きが、いま各地で根づき始めています。
これは制度というより、“文化を守る意志”の表れです。

9-2. 種を預かる人たち──民間シードバンクの輪

冷蔵庫の中で、数百種類の小袋が並ぶ。
そこには「信州小松菜」「阿蘇赤豆」「大和唐辛子」など、
地域ごとに受け継がれてきた種の名前が並んでいます。

長野の「信州やさいの会」では、農家が持ち寄った在来種の種を保存し、
希望者に少量ずつ分ける“地域シードバンク”を運営しています。
九州では、昔ながらの麦や豆の種を交換する集まりが開かれ、
「今年はこれを育ててみよう」と、手から手へと種が渡っていく。

種は誰のものでもない。
そんな考え方が、静かに広がっています。
「守る」ではなく「分け合う」。
それがこの時代の“種を継ぐ”形になりつつあるんです。

研究機関でも流れが変わり始めています。
農研機構や地方大学では、公的品種のデータベース化が進み、
誰でも種の情報を調べられるようになっています。
独占から共有へ。
制度の側にも、少しずつ風が通り始めています。

9-3. 消費が支える「多様性の経済」

畑だけでなく、食卓の側でも変化が起きています。

最近、「どこの種から生まれた野菜か」を
意識して選ぶ人が増えています。
在来種トマトや古代米を買うことで、
“その土地の味”を応援する。
それはもはや趣味ではなく、小さな投票行動です。

SNSでは、農家が日々の栽培を記録し、
種の物語を発信する動きも増えました。
フォロワーが応援購入をして、
その資金で翌年の採種を続ける。
こうした小さな循環が、いくつも生まれています。

行政も動いています。
地域の品種をブランドとして登録し、
地元経済と文化を一体で支える取り組み。
たとえば“地元限定の米”や“在来野菜フェア”など、
小さな経済圏が各地で芽を出しています。

種の問題は、結局のところ「どんな食卓を残したいか」という問いに戻ります。
便利さだけで作られた食卓よりも、
少し不揃いでも、土地の匂いがする野菜を並べたい。

そのために、農家だけでなく、食べる側も選ぶ。
行政も守る。
それぞれの立場で“ひと粒の種”を支えていく。

同じ形のトマトばかりが並ぶ棚に、
少し色の違う実が混ざること。
それが、この国の多様性を取り戻す第一歩なのだと思います。

【10】まとめ:種を守ることは、文化を守ること

種をめぐる問題は、法律や技術の話だけではありません。
それは、人がどんな未来を選ぶかという問いそのものです。

「自家採種ができない」と聞くと、不安になる。
「誰かが種を支配している」と聞くと、怒りが湧く。
けれど、そのどちらにも一部の真実と、一部の誤解が混ざっています。
制度は確かに変わった。
しかし、すべての種が奪われたわけではない。

登録品種の保護は、ブランドを守るための仕組みでもある。
在来種や固定種は、いまも自由に採種できる。
制度の裏にあるのは、“悪意”よりも“整合性”なのです。

とはいえ、現場の農家にとってはその整合性が、
時に重くのしかかる現実でもあります。
海外で自家採種が続くのを見ながら、
国内では罰則の線引きを意識しなければならない。
そんな矛盾の中でも、彼らは今日も種を播いています。

それでも、この国の畑には、希望が残っています。
地域の条例で種を守る人たち、
小さなシードバンクで在来種を受け継ぐ人たち、
食卓から選ぶことで支える消費者たち。
“守る”から“つなぐ”へ。
その意識の変化こそが、これからの農業の根になる。

スーパーで並ぶトマトや米を手に取るとき、
その“種の物語”に少しだけ思いを馳せてほしい。
その一粒の向こうには、
何十年も手で受け継がれてきた時間がある。

自家採種をめぐる議論の先にあるのは、
「私たちは、どんな食卓を残したいのか」という問いです。
完璧な答えはなくても、考え続けることに意味がある。

種を守ることは、文化を守ること。
そしてその文化は、あなたが今日選んだ一粒から、また始まっていきます。

編集後記

「制度を責めること」と「構造を理解すること」は、似ているようでまったく違います。

私は長く、データ分析や構造設計の仕事に関わってきました。
その中で痛感するのは、「仕組みが悪い」のではなく、「仕組みが理解されていない」ことが、
いちばん現場を苦しめるという事実です。

種苗法の問題も、F1種の構造も、
感情的な議論に傾けば傾くほど、本質から離れていく。
けれど、制度を“怖がらずに読み解く”ことができれば、
その先に見えるのは対立ではなく、選択肢です。

自家採種ができないことを「奪われた」と感じるのも自然なこと。
でも、その感情を出発点にして、
“何を残し、どうつなぐか”を考えられる社会でありたいと思います。

種は、ただの小さな粒ではありません。
人の知恵と営みが詰まった「文化の結晶」です。
だからこそ、数字でも制度でもなく、
“人の意志”のあるところに、未来の農業は根づいていくと信じています。

構造を知ることは、希望を見つけることでもある。
そう思いながら、私は今日も記事を書いています。

編集方針

・制度を批判ではなく理解で語ることを目的とした。
・感情よりも事実に基づき、誤解や陰謀論を正しく整理。
・法律・技術・現場の三層構造を、誰にでも理解できる言葉で説明。
・農家の声と社会の構造をつなぐ中立の視点を徹底。
・自家採種をめぐる問題を善悪でなく選択肢として提示。
・恐れではなく、希望と多様性の回復で締めくくる構成とした。
・読者が自分の食と種の関係を考えるきっかけをつくることを意図。

参照・参考サイト

農林水産省「種苗法の改正について」
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/syubyouhou/

農林水産省「なぜ種苗法を改正するのですか」 (PDF)
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/attach/pdf/shubyoho-18.pdf

野菜|農畜産業振興機構「改正種苗法の概要」
https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/wadai/2105_wadai1.html

農林水産省「改正種苗法 改正について」 (PDF)
https://www.maff.go.jp/j/kanbo/tizai/brand/attach/pdf/zenkoku-2.pdf

農林水産省「ポイント 改正種苗法/NARO広報誌」
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/responsive/naro/naro24-cont02.html

農業生物資源ジーンバンク 在来品種データベース
https://www.gene.affrc.go.jp/databases-traditional_varieties.php

広島県農業ジーンバンクのシードバンク機能
https://hana-fu.com/blog/29596/

日本の伝統野菜を守る:在来種再生の活動紹介
https://dime.jp/genre/1931106/

改正種苗法 完全施行で変わったものと変わらないもの(SmartAgri)
https://smartagri-jp.com/agriculture/4407

改正種苗法の概要(北海道公式)
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/nsk/syubyouhou.html

執筆者:飛蝗
SEO対策やウェブサイトの改善に取り組む一方で、社会や経済、環境、そしてマーケティングにまつわるコラムも日々書いています。どんなテーマであっても、私が一貫して大事にしているのは、目の前の現象ではなく、その背後にある「構造」を見つめることです。 数字が動いたとき、そこには必ず誰かの行動が隠れています。市場の変化が起きる前には、静かに価値観がシフトしているものです。社会問題や環境に関するニュースも、実は長い時間をかけた因果の連なりの中にあります。 私は、その静かな流れを読み取り、言葉に置き換えることで、「今、なぜこれが起きているのか」を考えるきっかけとなる場所をつくりたいと思っています。 SEOライティングやサイト改善についてのご相談は、X(@nengoro_com)までお気軽にどうぞ。
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