最近、「イスラム教徒が勝手に土葬した」というニュースが話題になりました。
批判の声が上がる一方で、なぜそんなことが起きたの背景を語る報道はほとんどありません。
その背景には、日本の制度が想定していない“埋葬の多様性”があります。
日本では、火葬が99%以上を占めています。
墓地埋葬法や刑法の死体遺棄罪も、火葬を前提に作られてきました。
けれど宗教や文化によっては、土に還すことそのものが“祈り”の形です。
その信仰が、制度の外に押し出されてしまっている。
この記事では、
「なぜ土葬は制限されているのか」
「どこからが違法になるのか」
「そして、どうすれば共存できるのか」
この3つの疑問を通して、法と信仰のあいだにある“見えない境界線”をたどります。
【1】イスラム教徒の“無許可土葬”が社会問題になっている

近ごろ、「イスラム教徒が無許可で土葬した」というニュースが全国で相次いでいます。
山中や畑などで遺体を埋めたとして、行政が撤去を指導するケースもありました。
見出しだけを見れば「法律違反」と思うかもしれません。
けれど、背景にはもっと深い事情があります。
1-1. 日本各地で報道される無許可土葬の実態
報道では“勝手に埋めた”と書かれますが、当事者の多くは信仰を元に行動しています。
イスラム教徒にとって、亡くなった人をできるだけ早く、24時間以内に土に還すことが宗教的ルールです。
火葬を避けたいのは「伝統」や「こだわり」ではなく、“信仰を守るため”の行動なんです。
しかし日本では、火葬が99%を超え、一般的なため、行政も地域も、どう対応すべきかの指針を持っていません。
1-2. イスラム教徒にとって土葬は信仰上の義務
イスラム法(シャリーア)では、人は死後も“神からの借り物の身体”とされ、焼却は許されていません。
亡くなった直後に清め、布で包み、土に還す。
それが“敬意”であり、“祈り”です。
日本に住むイスラム教徒たちは、その教義を守ろうとしていますが、
制度がそれを想定していないため、「信仰」と「法律」が衝突する現実が生まれているのです。
1-3. 「火葬を禁じる教え」と「火葬を前提とする制度」の衝突
行政手続きは、すべて火葬を前提につくられています。
死亡届を出せば、自動的に「火葬許可証」が発行されます。
土葬を希望しても、そのままでは受け入れられません。
制度上“土葬”という選択肢が存在していないんです。
結果として、法よりも信仰を優先した人々が「無許可」という形で埋葬を行い、刑法上の“遺棄”に問われることがある。
信仰を守る行為が、社会では“犯罪”とみなされてしまう。
そこに、この問題の本質があります。
1-4. 「禁止」ではなく「制度の想定外」にある問題
大切なのは、「日本が土葬を禁止している」という誤解を正すことです。
法律は“禁止”しているのではなく、想定していないのです。
宗教対立の話などではありません。
どんな人の信仰も、どんな文化の祈りも、同じ社会の中で尊重されるべきです。
そのために何を変えるべきか。
制度の仕組みを丁寧に読み解きながら、“想定外をどう包み込むか”という視点で考えていきます。
【2】なぜ勝手な土葬は違法なのか──墓地埋葬法の原則を読み解く

「土葬は日本では禁止されている」と思っている人は少なくありませんが
日本の法律では、そんなことは書かれていません。
問題は“禁止”ではなく、“場所の指定”にあります。
ここで、法律の構造をいったん整理してみましょう。
2-1. 墓地埋葬法第4条:「墓地以外での埋葬は禁止」
1948年に制定された墓地、埋葬等に関する法律(墓地埋葬法)は、
「墓地以外の場所に埋葬してはならない」と定められています。
つまり、「埋葬が許されるのは“墓地”だけ」という決まりです。
もし畑や私有地に遺体を埋めた場合、墓地以外での埋葬=法律違反(死体遺棄)となります。
重要なのは、「土葬が違法」ではなく「墓地以外で行う土葬が違法」だという点です。
2-2. 「墓地」とは行政の許可を受けた土地のみ
法律上の墓地とは、都道府県知事や市区町村の許可を受け、
埋葬や焼骨の収蔵を目的として管理される土地のことをいいます。
つ宗教施設の敷地や個人の山林でも、許可を受けていなければ“墓地”にはなりません。
ですから、信仰や文化の事情にかかわらず、許可のない土地で埋葬すれば違法となるのです。
2-3. 背景:衛生・土地・秩序維持のための法的枠組み
墓地埋葬法が生まれた背景には、戦後の公衆衛生の課題がありました。
伝染病の流行、都市への人口集中、狭い土地。
火葬を標準化し、埋葬を「管理できる場所」に限定することで、
衛生と秩序を守ろうとしたのです。
つまり、この法律の目的は宗教の制限ではなく、生活環境の安全を保つこと。
「埋葬するなら、地域や行政が管理できる場所で」という考え方が大元にあります。
2-4. 「禁止」ではなく「指定場所以外での埋葬が違法」という誤解
墓地埋葬法は、土葬そのものを否定していません。
しかし、実際にはほとんどの自治体が火葬を前提とした運用をしています。
墓地の多くが火葬後の埋葬を想定しており、
「土葬用の区画」が存在しないケースがほとんどです。
結果として、土葬できない=禁止されているという誤解が生まれました。
法律上は可能。けれど、運用上はかなり難しい。
このズレが、無許可土葬という問題の温床になっています。
2-5.「墓地埋葬法の構造」──墓地・埋葬・許可の関係図
墓地埋葬法は、単なる「土葬禁止法」ではありません。
その構造は、土地・行為・許可の3要素の掛け合わせの仕組みになっています。
どれか1つでも欠けると、法律上では違法となってしまいます。
墓地埋葬法の基本ルール
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 土地 | 埋葬できるのは、自治体が許可した「墓地」だけ。 自宅の庭・山・畑など 認定されていない土地では埋葬不可。 |
| 行為 | 遺体を埋める、または焼骨を納める行為は、墓地の中でのみ認められる。 墓地以外で行うと、墓地埋葬法第4条違反。 |
| 許可 | 墓地をつくる・管理する・他の場所に移す(改葬)には、自治体の許可が必要。 無許可で埋葬すると、刑法の「死体遺棄罪」に問われることがある。 |
出典:墓地、埋葬等に関する法律(墓地埋葬法)第4条・第10条/刑法第190条
✔︎ 「墓地と埋葬と行政許可の3つがそろって初めて合法となる
✔︎ いずれかが欠けると“無許可埋葬”=違法行為になる
この表からわかるように、
問題の本質は「土葬そのものの禁止」ではなく、“指定された墓地以外では埋葬できない”という制があります。
法律の目的は、宗教の規制ではなく、公衆衛生と秩序の維持。
しかし、その制度設計が結果的に“信仰の自由”との間に壁をつくっています。
【3】墓地外での埋葬は“死体遺棄罪”に問われる──刑法190条の適用

家族の思いで埋めた場所が、法律では「犯罪の現場」とされる。
そんな不条理が、いま現実に起きています。
制度の歯車が、ほんの少し噛み合っていないだけで、人の行為が“罪”へと変わってしまうのです。
3-1. 「遺棄の意思」がなくても罪に問われる場合がある
刑法190条には、以下のように書かれてます。
死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、
3年以下の拘禁刑に処する。
この条文は、「故意に遺棄した」かどうか関係なく、悪意がなくても違法になってしまう可能性があります。
たとえば家族を思い、静かな場所に埋葬した行為でも、行政の許可を得ていなければ“遺棄”と見なされることがあるんです。
冷たいようですが、それが今の日本の刑法の現状です。
3-2. 墓地以外=法的には“遺棄”と見なされる
刑法でいう「遺棄」というのは、
墓地埋葬法で定められた“許可された場所”以外で埋葬した時点で、法的には管理がなされていないと見なされます。
たとえそれが人気がない静かな一角であっても、法の上では“遺棄”です。
感情が無視されているので違和感があるかもしれませんが、刑法ではそうなっているんです。
| 関連法 | 条文内容 | 違反時の扱い |
|---|---|---|
| 墓地埋葬法第4条 | 墓地以外での埋葬を禁止 | 行政指導・是正命令の対象 |
| 刑法190条(死体遺棄罪) | 適切な処理をしない埋葬・遺棄行為 | 3年以下の懲役または罰金 |
| 憲法20条 | 信教の自由を保障 | 公共の福祉により制限される場合あり |
3-3. 行政と警察のあいだで揺れる現場判断
自治体によっては、無許可埋葬を見つけると警察や保健所に連絡し、掘り起こして火葬を求めることがあります。
それが正しい対応なのかどうかが、現場でも判断が分かれます。
なぜなら、法律のどこにも「宗教上の理由を考慮する」という文言がないからです。
現実的には衛生や近隣の不安が優先され、信仰の背景は後手に回っている。
行政も警察も、迷いながら進めているのが現状です。
3-4. 「信仰を守る行為」が犯罪化してしまう構造
この問題は、制度を守らなかった瞬間に“犯罪化”される仕組みにあります。
法律は意図ではなく、結果で判断するからです。
誰かを傷つけるつもりがなくても、罪として処理されてしまうんです。
宗教の問題ではなく、制度設計の問題です。
この「ズレ」は、複数の法律がそれぞれ別の目的で動いていることに原因があります。
墓地埋葬法は衛生と土地管理、刑法は秩序維持、憲法20条は信教の自由。
それぞれが噛み合わず、現場では判断が揺れてしまう現象です。
ここで、その関係構造を整理してみます。
「墓地埋葬法 × 刑法 × 憲法20条」の関係
| 法律 | 何を守るためのルール? | どうつながる? |
|---|---|---|
| 墓地埋葬法 | 町の衛生と、土地の使い方を守るため | 埋葬は、許可された“墓地”で行うことと決める法律。勝手に私有地に埋めるのはNG。 |
| 刑法190条(死体遺棄罪) | 遺体を丁寧に扱うことを守るため | 墓地埋葬法に反して勝手に埋葬した場合、悪質だと刑罰の対象になることがある。 |
| 憲法20条(信教の自由) | 宗教上のやり方を選ぶ自由を守るため | 土葬という宗教的理由での埋葬の希望は尊重される。ただし、衛生や安全を守るためのルール(公共の福祉)が優先される。 |
出典:墓地埋葬法第4条/刑法第190条/日本国憲法第20条・第12条
それぞれの法は「人を守る」ために作られたはずなのに、どの法を優先するかで扱いが変わってしまいます。
【4】墓地であれば土葬は可能

前章で触れたように、墓地以外での土葬は法律で禁止されていますが、
「墓地の中であれば土葬は認められている」のです。
ここで重要なのは禁止ではなく、「許可されていない場所ではできない」という点にあります。
ルールの中では土葬は合法ですが、その条件はかなり厳しいものです。
4-1. 墓地埋葬法上、土葬は認められている
墓地埋葬法には「火葬しなければならない」という条文はありません。
埋葬の方法を明確に限定していないため、墓地の許可を得れば土葬は可能です。
つまり、火葬は慣習的に広まったもので、法的には絶対条件ではありません。
意外に思う人も多いでしょう。
ただし、許可された墓地であっても、自治体や保健所の審査を通る必要があります。
地盤や地下水の流れ、周囲との距離。これらが基準を満たしていなければ認可されません。
制度上の「OK」はあっても、実際の「ハードル」は高いのです。
4-2. 許可のための基準(土壌・地下水・距離・防水棺)
土葬が認められるかどうかは、主に以下の条件で判断されます。
| 項目 | 基準・条件 | 理由 |
|---|---|---|
| 土壌 | 水はけが良く、浸透性の高い土地 | 遺体の分解と衛生保持のため |
| 地下水位 | 地表から2m以上の深さ | 水質汚染や感染症拡大を防ぐ |
| 周囲の距離 | 住宅・水源・道路から一定距離を確保 | 生活環境への影響を抑える |
| 棺の構造 | 防水性・密閉性の高い棺を使用 | 腐敗臭や液漏れ防止 |
| 管理体制 | 墓地管理者による定期的な確認 | 公衆衛生の継続的担保 |
出典: 厚生労働省「墓地、埋葬等に関する法律」(昭和23年法律第48号)/環境省「墓地経営・管理指導要領(平成14年改訂)」/東京都福祉保健局『墓地等の経営・管理に関する指導指針』
この条件をすべて満たす土地は、都市部にはほとんどありません。
郊外や山間部でも、地下水や近隣住民の同意がネックになります。
特に住民による反対運動などはニュースでも聞いたことがあるかもしれません。
4-3. 住民合意・衛生基準など、実際のハードル
もう一つの壁が「住民合意」です。
墓地を新設する場合、近隣住民の理解を得ることが前提になります。
とくに土葬を伴う墓地では、「匂い」「衛生」「地下水汚染」などの懸念から、反対運動が起きやすいです。
結果として、認可は長期化し、新しい土葬墓地は増えていないのが現状です。
手続きの大変さに加えて、行政担当者の知識不足も影響しています。
現場では「火葬を前提とした設計」が当たり前になっており、土葬は例外扱いのままです。
対象人数の少ないことにそこまで手をかけられないということもあるでしょう。
4-4. 「できるが簡単ではない」制度運用の現実
法の上では可能、現場では困難。
それが、いまの日本における土葬の位置づけです。
つまり、「禁止」ではなく「制度が想定していない」。
前章までの“違法構造”とは別の形で、ここにもう一つの制度の盲点があります。
「土葬ができる国」と「実際にできる国」は違う。
ルールの中に書かれていても、現場で動かなければ意味がない。
制度とは、結局“人が運用するもの”なのです。
4-5. 墓地の許可要件と衛生条件
| 要件区分 | 内容 | 担当・基準例 |
|---|---|---|
| 地理的条件 | 土壌透水性、地下水位、斜面安定性 | 保健所・環境課による現地調査 |
| 衛生管理 | 防水棺、防臭措置、埋葬深度(1.5m以上) | 衛生課・環境衛生基準に準拠 |
| 環境配慮 | 水源・住宅・道路からの距離 | 環境基本条例に基づく距離制限 |
| 地域合意 | 周辺住民・自治体協議の同意書 | 墓地経営許可の前提条件 |
| 運用体制 | 墓地管理者による維持・報告体制 | 行政が定期的に確認・監査 |
出典: 厚生労働省「墓地経営・管理指導要領」/環境省『墓地等の衛生的管理に関する指導資料』(平成15年版)/各自治体条例(例:東京都、北海道、山梨県)
制度を動かすのは、条文ではなく人の判断。
それが、土葬という“古くて新しい”テーマを、いっそう複雑にしています。
【5】なぜ無許可土葬が起きるのか“制度に間に合っていない”現実

報道で「無許可の土葬」と聞くと、法を無視した自己中な行為のように映りますが、
実際は制度に追いつけなかった人たちの選択にすぎません。
宗教の対立ではなく、手続きと時間のズレが生んだ出来事です。
5-1. イスラム教徒にとって火葬は禁忌、24時間以内の埋葬が原則
イスラム教では、遺体を焼くことを禁じています。
亡くなった人は清められ、白布で包まれ、祈りとともに埋葬される。
すべては24時間以内に行うのが教義です。
この短い時間の中で、行政手続きを終え、墓地の許可を取るのはほぼ不可能です。
日本の制度が想定する“埋葬までの流れ”と、信仰が求める“時間の速さ”が合っていません。
5-2. 日本の手続きは時間がかかり、埋葬地も限られる
日本では、埋葬を行う前に市区町村長が発行する埋火葬許可証が必要です。
死亡届の受理から発行まで早くても1日、自治体によってはそれ以上。
この時点で、イスラムの「24時間以内の埋葬」には間に合いません。
さらに、土葬を受け入れている墓地が全国でも数えるほどしかありません。
火葬を前提とした制度の中で、埋葬場所を探すだけでも難しい。
家族が戸惑うのは当然です。
| プロセス | 日本の平均所要時間 | イスラム教の規定 |
|---|---|---|
| 死亡届提出〜埋火葬許可証発行 | 1〜2日 | 即日(数時間以内) |
| 埋葬地の確保 | 数日〜数週間 | 24時間以内に埋葬完了 |
| 火葬/埋葬方法 | 火葬前提 | 火葬禁止・土葬義務 |
出典: 厚生労働省「死亡届・埋火葬許可事務マニュアル」/日本ムスリム協会「イスラーム葬儀実施要領」
5-3. 墓地の数が少なく、他県移送や行政許可が現実的でない
現在、イスラム教徒が合法的に土葬できる墓地は、
山梨県北杜市や北海道余市町など、全国で数か所しかありません。
遠方への移送は時間も費用もかかり、衛生面の手続きも複雑です。
行政も慎重です。
「前例がない」と申請が止まり、許可まで数週間かかることもあります。
葬儀社や自治体の窓口でさえ、どこに相談すればよいか分からない状況が続いています。
5-4. 「制度に間に合わない」信仰実践の苦しみ
亡くなった直後から始まる埋葬の準備。
けれど、許可はすぐに下りない。墓地も見つからない。
家族は、信仰を守るか、法律を守るかという選択を迫られます。
制度の時計と信仰の時計が、わずかにずれている。
その小さな差が、違法と合法の境目を生んでしまう。
多くの無許可土葬は、その狭間で生まれています。
5-5. 無許可土葬は“反逆”ではなく“制度の空白”の表れ
無許可土葬を行う人々は、秩序を壊そうとしているわけではありません。
制度が想定していない領域に踏み込んでしまっただけです。
誰も悪意を持っていない。
それでも、法の外で行われた時点で“違法”と見なされてしまう。
| 視点 | 実態 | 構造的課題 |
|---|---|---|
| 宗教側 | 火葬禁止・即日埋葬義務 | 制度が時間的制約に非対応 |
| 行政側 | 許可手続き・衛生基準重視 | 多宗教対応マニュアルが未整備 |
| 社会全体 | 理解・議論の不足 | 信仰を前提にした制度設計が未発達 |
出典: 朝日新聞「イスラム教徒の“無許可土葬”なぜ起きたか」(2024年7月)/読売新聞「多文化社会における埋葬制度の課題」(2024年8月)
制度は、誰かのために作られたもので、すべての人の現実を拾えているわけではありません。
無許可土葬の問題は、信仰よりもむしろ、想定外の制度を考えていなかった証拠ともいえます。
【6】火葬文化が定着した日本

日本では、死後の処理といえば火葬が当たり前。
全国の火葬率は99.97%を超え、世界でもほとんど例のない水準です。
しかし、これは明治時代になってからのことです。
感染症の流行と都市の発展が生んだ、衛生中心の合理的な文化でした。
6-1. 明治期:感染症対策として火葬が推奨された
明治政府が火葬を奨励した背景には、衛生の問題がありました。
当時、コロリ(コレラ)や結核などの感染症が全国で流行しており、
遺体の腐敗や地下水汚染が危険と考えられていたのです。
1873年(明治6年)に一度「火葬禁止令」が出されましたが、
かえって衛生被害が増え、2年後に撤回されました。
以後、火葬の普及が衛生政策の一環として進められるようになりました。
6-2. 戦後:土地の制約と都市集中が火葬を制度化した
戦後の都市化で墓地の確保が難しくなり、
住宅地の拡大とともに土地の余裕がなくなりました。
その中で、火葬は最もスペースを取らない埋葬法として定着していきました。
自治体は火葬場の整備を進め、厚生省(当時)は
「衛生的で効率的な埋葬法」として火葬を一般化。
こうして、“火葬=あたりまえ”という社会が形づくられました。
| 時期 | 背景 | 火葬普及の要因 |
|---|---|---|
| 明治初期 | 感染症流行と衛生対策 | 腐敗防止・衛生維持のため火葬推奨 |
| 大正〜昭和初期 | 都市化の始まり | 墓地不足・土地利用制限 |
| 戦後〜高度成長期 | 都市集中・住宅開発 | 公共火葬場の整備・衛生行政の強化 |
出典: 厚生労働省『衛生行政年報』/日本葬祭業協同組合連合会『日本の火葬史』
6-3. 火葬率99.97%の国、日本の異例性
宗教的な背景を見ると、この数値はきわめて特殊です。
キリスト教圏では土葬が主流で、イスラム教では火葬が禁忌。
それに対して日本では、ほぼ一神教でもあり衛生と合理性が優先されてきました。
| 国・地域 | 火葬率(概算) | 主な背景・特徴 |
|---|---|---|
| 日本 | 約99.97% | 公衆衛生・土地制約による制度化 |
| 韓国 | 約93% | 都市化による墓地不足、国家主導の火葬推進 |
| 台湾 | 約90% | 衛生行政と土地政策の一体化 |
| アメリカ | 約58% | 宗教多様性、州ごとに差あり |
| イギリス | 約78% | キリスト教文化圏内で火葬が拡大傾向 |
| イスラム諸国 (例:サウジアラビア) | 0% | 宗教上の禁忌により火葬禁止 |
出典: 日本葬祭業協同組合連合会『世界の火葬統計』(2024)/Cremation Society of Great Britain『International Cremation Statistics 2023』
6-4. 「衛生的な死」が制度として定着した経緯
火葬は、衛生と効率を重視する現代の日本社会と深く結びついています。
遺体の処理を公的に管理し、感染や臭気の心配をなくす。
その代わりに、死が社会の壁の向こう側へ押し出されるようになりました。
病院で亡くなり、葬儀社が引き取り、火葬場へ向かう。
こうした一連の流れが制度化され、「個人の死」は
行政手続きの一部として処理されるようになっています。
火葬は清潔で便利な方法として定着しましたが、
同時に余計なことは考えないで済む流れ作業的なしくみでもありました。
日本の火葬文化は、信仰ではなく衛生と都市構造がつくった制度的慣習です。
その合理性が強すぎた結果、いま「土葬」という選択肢が制度の想定外として扱われています。
【7】制度の想定外:“多文化社会”が突きつけた問題

火葬が「常識」になった日本で、
その外側にある文化や信仰は、いつの間にか見えなくなっていました。
しかし、在留外国人が300万人を超えるいま、
“想定外の葬送”は、社会の現実になりつつあります。
7-1. 増え続けるイスラム教徒の埋葬ニーズ
日本で暮らすイスラム教徒は、推計で30万人以上。
国内のモスクは100カ所を超え、すでに「地域コミュニティ」として根づいています。
イスラム教では、死後できるだけ早く、
24時間以内に土葬することが宗教上の義務。
しかし日本の制度では、火葬または埋葬許可証の発行まで少なくとも24時間経過が必要です。
信仰と法律のあいだに、時間のずれが生じているのです。
7-2. 「土葬は違法」ではないが、“できない”現実
「土葬は違法」ではなくても、
土葬できる場所がほとんど存在しないのが現状です。
一部の自治体では、地域住民の理解を得て
「イスラム教徒専用墓地」や「土葬エリア」を設けていますが、
全国でもまだ数えるほどしかありません。
| 自治体・地域 | 対応内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 山梨県北杜市 | イスラム教徒向け区画を設置 | 住民説明会を経て一部容認 |
| 宮城県登米市 | イスラム墓地設立を認可 | 国内初の本格的土葬墓地 |
| 静岡県島田市 | 埋葬許可基準を明確化 | 事前申請制で個別対応 |
| 兵庫県神戸市 | 既存墓地内に限定区画 | 墓地管理者が協議で判断 |
出典: 各自治体発表資料(2022〜2024年)/イスラム文化センター調査
7-3. 「公衆衛生」と「宗教の自由」の狭間で
火葬制度は、公衆衛生を守るために設計されました。
しかし現代の土葬は、防腐や密閉、深度管理などの技術が進み、
衛生上のリスクはかつてより格段に低くなっています。
それでも行政は、「感染リスク」「住民感情」「風評」を理由に改正が進んでいません。
憲法20条の信教の自由と、墓地埋葬法の公共衛生の原則。
両者のあいだにある解釈のグレーゾーンが、一番の大きな問題です。
7-4. “共に暮らす社会”への制度設計を
日本の制度は長く、「均一な文化」を前提に整えられてきました。
だからこそ、想定していなかった多文化が共存する時代になると、
想定外の“ひずみ”が浮かび上がります。
「宗教が違うから」ではなく、
“死のかたち”が違う人と、どう共に生きるか。
それを、行政や地域の仕組みとして考え直す時期に来ています。
7-5. 法の外側に押し出される人々
制度の想定外に置かれるのは、宗教だけではありません。
例えば、亡くなったイスラム教徒の遺体を本国に送還する場合、
輸送費だけで数十万円から100万円以上かかります。
家族が在留資格を持たない場合、日本国内での埋葬手続きすら難しい。
火葬を拒む信仰を持ちながら、火葬を強いられる。
遺族にとってそれは、「信仰を守る権利」と「社会に従う義務」の衝突です。
行政の制度の外側で、
“選択肢のない埋葬”が静かに行われている現実。
それが、いまの日本の多文化社会の縮図かもしれません。
日本の火葬制度は、長く社会を衛生的に保ってきました。
けれど、その外側にいる人々が増えてきた場合、
それはもう「合理的な仕組み」ではなくなっています。
【8】日本で合法的に土葬ができる場所──北杜市と余市町のケース

日本の中にも、ルールの枠内で土葬を実現した地域があります。
山梨県の北杜市と北海道の余市町です。
8-1. 北杜市イスラム墓地の設立経緯
2016年、北杜市でイスラム教徒の墓地をつくる計画が持ち上がりました。
最初は強い反発がありました。
「地下水が汚れる」「感染症が心配だ」といった声が、市や住民から寄せられたのです。
それでも運営団体はあきらめませんでした。
専門家と協力し、防水棺の使用・土壌調査・深さの管理(1.5m以上)などのデータを揃え、
一つずつ解決していきました。
何度も説明会を重ねた末、2017年に市が正式に認可。
行政が初めて土葬墓地を許可した例として、全国に知られることになりました。
信仰を押し通すのではなく、制度の手続きで理解を得たこと事例です。
8-2. 余市町の地域協働モデル
北海道の余市町では、少し違う方法が取られました。
宗教団体が先に立つのではなく、地域と行政が一緒になって考えたのです。
町の共用墓地の一角を、土葬専用区画として整備。
衛生専門家や建設業者が参加し、
地下水位・距離・防水資材・排水設計をオープンに共有しました。
その過程をすべて公開したことで、住民の不安はほとんど起きませんでした。
“外から来た文化”を“町の暮らしの一部”として受け入れた、
数少ない成功例のひとつです。
8-3. 許可取得までの行政プロセス
どちらの地域にも共通していたのは、
「前もって準備する」姿勢でした。
行政に申請する前に、宗教団体が専門家と組み、
衛生面のデータをそろえて提出していたのです。
| 手続きステップ | 内容 | 担当主体 |
|---|---|---|
| ① 事前相談 | 行政への基本構想提示 | 宗教団体 |
| ② 土壌・衛生調査 | 専門機関による環境評価 | 調査会社/大学 |
| ③ 住民説明会 | 開催・意見収集・修正案提示 | 宗教団体+自治体 |
| ④ 許可申請 | 墓地埋葬法に基づく正式申請 | 宗教団体 |
| ⑤ 許可決定 | 自治体が条件付きで承認 | 市町村長 |
出典: 北杜市議会議事録(2017)/余市町行政資料(2021)
「宗教と行政の対立」ではなく、手続きを共有する協働の形が、ここにはあります。
8-4. 衛生・距離・環境の条件
土葬が許可されるには、いくつかの条件をクリアする必要があります。
行政は、次のような基準で判断します。
| 区分 | 主な基準 | 解説 |
|---|---|---|
| 衛生 | 地下水位1.5m以下、防水棺使用 | 汚染リスク回避 |
| 土壌 | 透水係数0.01cm/s以下 | 水流拡散を防止 |
| 距離 | 住宅・井戸から20m以上 | 生活区域への配慮 |
| 環境 | 雨水排水設計、植生管理 | 表面流出を防ぐ |
出典: 厚生労働省『墓地衛生管理ガイドライン』(改訂2023)
これらの条件を満たせば、
法律上、土葬をしてはいけない理由はどこにもありません。
8-5. 「多様な死」を受け入れる制度への前進
北杜市と余市町の事例は、
宗教を特別扱いしたものではありません。
地域の合意と行政の理解があれば、制度の中で解決できるという実例です。
この2つの町は、「想定外」を排除せず、
「どうすれば安全にできるか」を話し合いながら進めました。
そのプロセスこそが、
“多様な死”を受け入れる社会のかたちを示しているように思います。
土葬の議論は、宗教や衛生だけの問題ではありません。
“どう生き、どう別れを選ぶか”という、人の根っこの部分に関わっています。
制度がそこに追いつき始めた今、
ようやく「多様な生と死」を語る準備が整い始めたのかもしれません。
【9】今後の日本社会が考えるべきこと

火葬が「あたりまえ」だった社会に、別の文化が混じり始めています。
その変化に制度が追いついていない。
いま起きているのは、宗教の衝突ではなく制度の遅れです。
9-1. 増える在留外国人と多様な葬送ニーズ
2024年の在留外国人数は約330万人。
技能実習生や留学生、永住者まで含めれば、
日本社会の中で確実に“共に生きる存在”になっています。
宗教だけでなく、葬送の形も多様化しています。
たとえば、
- 自然葬(樹木葬・散骨)
- 家族葬・無宗教葬
- イスラム・ヒンドゥー・キリスト教などの信仰葬
もはや「火葬」だけを前提にした社会設計では、
すべての人を包み込むことは難しくなっています。
9-2. 「信教の自由」と「公衆衛生」のバランス
憲法20条は信教の自由を保障し、
墓地埋葬法は公衆衛生の確保を目的としています。
どちらも人の尊厳を守るための仕組みです。
けれど、どちらか一方が強すぎると、
「安全」は守れても「尊厳」は失われてしまう。
火葬制度がそうであったように、
合理性が人の多様さを削いでしまうことがあるのです。
いま求められているのは、
信仰を例外扱いせず、制度の中で“共存”させる考え方です。
9-3. 自治体・宗教団体・市民の“協働モデル”へ
制度の再設計において、行政だけでは限界があります。
北杜市や余市町が示したように、
地域住民と宗教団体、専門家が協働して設計する構造が現実的です。
国が全国一律の基準を決めるよりも、
地域単位で調整できる柔軟さを持たせること。
それが、多文化社会にふさわしい仕組みの第一歩です。
9-4. 「衛生」から「尊厳」へ──法の基準を更新する
これまでの制度は、衛生を中心に組み立てられてきました。
明治期の感染症対策から続くその思想は、確かに有効でした。
けれど現代の課題は、衛生だけでは測れません。
感染症や土地利用のリスクを最小限に抑えながら、
人の尊厳や信仰の自由も守る仕組みが求められています。
“衛生を守る法”から、“尊厳を支える法”へ。
基準の軸足を少し動かすだけで、社会の景色は変わります。
9-5. 制度再設計のKPIツリー
多文化社会で葬送制度を再構築する際の、
考え方のフレームを整理します
上位KPI:信教の自由と尊厳を守る

出典: 構成分析に基づく再設計フレーム(参考:厚労省/法務省/国立保健医療科学院)
このKPIツリーは、“信教の自由”を中心に据えつつ、
公衆衛生・土地・自治を下支えにした立体構造です。
どこか一つでも欠けると、全体のバランスが崩れます。
9-6. “制度疲労”から“制度更新”へ
「想定外」という言葉は、もともと制度の側の言葉です。
つまり、「想定外の人がいる」のではなく、
「制度が想定してこなかっただけ」なのです。
これからの社会では、
“想定外を想定する”ことこそが成熟の条件になります。
制度を変えるのは、いつも現場からです。
北杜市や余市町のような小さな成功が積み重なれば、
やがてそれが、社会全体の新しい常識になっていく。
人が生まれるときも、死を迎えるときも、
その形はひとつではありません。
多様な死を認めることは、
多様な生を尊ぶ社会へつながっていきます。
そしてその方向に、いま日本の制度がゆっくりと舵を切り始めています。
10. まとめ
火葬が主流になった日本では、土葬は長く「過去の風習」や「宗教的な例外」として片づけられてきましたが、その背景にあるのは単なる信仰の違いではありません。
制度が“想定していない生き方”を、社会がどこまで受け止められるか。
それが今、私たちに突きつけられている課題です。
戦後の日本は、公衆衛生と合理性を軸に制度を築いてきました。
確かにその仕組みは、社会を清潔で安全に保ってきた。
でも同時に、異なる文化や死生観を「制度の外」に追いやったとも言えます。
火葬中心の社会が完成したことは、日本の近代化の証でもあり、
多様性の限界を映す鏡でもあった。
イスラム教徒の土葬問題が投げかけたのは、宗教の衝突ではなく、
「制度がどれだけ人を包み込めるか」という問いだった。
衛生か、信仰か──そのどちらかを選ぶ時代は、もう終わりに近い。
科学的に安全を保ちながら、信仰と尊厳を守る制度を設計することはできる。
足りないのは、知識でも技術でもなく、変える覚悟だと思う。
人がどう葬られたいかという願いは、
その人がどう生きてきたかという物語とつながってきます。
死を多様に受け入れられる社会は、生の多様性も受け入れられる社会。
だから問うべきは、「土葬を認めるかどうか」ではなく、
「どんな社会でありたいか」なんだと思う。
制度は、ルールのためにあるんじゃない。
人を守るためにある。
死を“例外”ではなく、“文化の一部”として扱うこと。
その再定義こそが、これからの多様化する日本が成熟へ進むための、いちばん大事な一歩だ。
編集後記
ニュースになるのは、いつも「問題」になったあとです。
そして最後のアウトプットがニュースになっただけで、その背景はわからないままにニュースは過ぎてしまい、その問題の本質が語られることはあまりありません。
火葬が当たり前の社会で、土葬を望む人がいる。
それだけのことが、なぜこんなに難しいのかと思う。
結局、制度って「大多数の一般人」に合わせてできていて、
そこから外れた人の声は、気づかれにくい。
日本はマイノリティーには優しくない世界です。
でも、そこに光を当てるのがメディアの役割であり、
“社会を読み直す”ことの意味なんじゃないかと思います。
このテーマは法律の話をしているようで、
実は「人の想像力」の話をしているということなんです。
制度を動かすのは仕組みじゃなくて、いつも人なんですよね。
編集方針
- 火葬一辺倒の日本社会における「制度の想定外」を可視化。
- 宗教論ではなく、制度設計の問題として論点を整理。
- 法・文化・人間の尊厳をつなぐ構造的視点を重視。
- 感情的対立ではなく、共生に向けた制度更新の必要性を提示。
- 具体的事例と法体系をもとに、課題を“構造”として描出。
- 「死の多様性=生の多様性」という価値転換を提案。
参照・参考サイト
厚生労働省|墓地、埋葬等に関する法律
墓地、埋葬等に関する法律(昭和23年5月31日法律第48号)
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei15/
厚生労働省|墓地・埋葬等のページ
墓地・埋葬等に関する法律にかかる資料等を掲載
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000123872.html
e-Gov法令検索
墓地、埋葬等に関する法律
https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000048
e-Stat(政府統計の総合窓口)
墓地・火葬場・納骨堂数,経営主体・都道府県-指定都市-中核市別
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?layout=dataset&query=%E5%A2%93%E5%9C%B0&toukei=00450027&tstat=000001031469
厚生労働省|全国火葬場データベース
全国の火葬場の現況や運営状況について紹介
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei24/


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