アイドルの歌を聴いていて、ふと「また聴きたいな」と思うことがある。
ぜんぜんうまくはない。
音が外れてたり、息がもれてたり。
それでも、なぜか心が動く。
その一方で、「うまいなー」と感心する歌もある。
音程もリズムも正確で、まるで設計図のように整っている。
だけど、一度聴いたらもういいかなって気がしてしまう。
完璧なんだけど、どこかに“届いてない”感じが残る。
ネットを開けば「歌が上手い人ランキング」が並んでいる。
けれど、“上手い”とは、突き詰めれば技術の話だ。
音の高さ、声の安定、響きの正確さ。
それは職人技であり、尊敬すべきことだけれど、
人の心を震わせるものとは少し違う。
やっぱり最後は、“伝える心”だと思う。
そこに温度があるかどうか。
声の中に、その人の時間や想いが滲んでいるかどうか。
昔、オアシスのリアム・ギャラガーが言っていた。
「チューイングガムみたいな歌と、コースディナーみたいな歌がある」って。
この比喩が、どうにも忘れられない。
チューイングガムのような歌は、口にした瞬間に甘くて楽しい。
明るくて、軽やかで、聴いたそばから気分が上がる。
でも、味はすぐになくなってしまう。
コースディナーのような歌は、最初は地味で、派手さがない。
けれど、時間をかけて味わうほど香りが深まり、
聴き終えたあとに静かな余韻が残る。
一瞬の刺激ではないけれど、
心のどこかにゆっくり沈んでいくような感覚だ。
今はサブスクで、音楽を好きなだけ聴ける時代になった。
世界中の曲がタップひとつで流れ、
他の曲へもすぐに行ける。
便利だけれど、“心の奥で鳴る一曲”に出会う機会は減った気がする。
味見するように次々と聴いて、
じっくり味わう前にページを閉じてしまう。
それでも、たまに出会う。
ふと流れてきた曲の中に、
心のどこかをそっと撫でてくるような歌がある。
それは、うまさではなく、
誰かが本気で伝えようとした“跡”なのだと思う。
チューイングガムのような楽しさも嫌いじゃない。
でも、時々、あの静かなディナーのような歌に出会いたくなる。
そして思う。
そんな“琴線に触れる歌”を探す旅こそ、
大人になっても心の奥にワクワクを残してくれているのだと。


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