チューイングガムとコースディナーのあいだで

essay_01_チューイングガムとコースディナーのあいだで エッセイ

アイドルの歌を聴いていて、ふと「また聴きたいな」と思うことがある。
ぜんぜんうまくはない。
音が外れてたり、息がもれてたり。
それでも、なぜか心が動く。

その一方で、「うまいなー」と感心する歌もある。
音程もリズムも正確で、まるで設計図のように整っている。
だけど、一度聴いたらもういいかなって気がしてしまう。
完璧なんだけど、どこかに“届いてない”感じが残る。

ネットを開けば「歌が上手い人ランキング」が並んでいる。
けれど、“上手い”とは、突き詰めれば技術の話だ。
音の高さ、声の安定、響きの正確さ。
それは職人技であり、尊敬すべきことだけれど、
人の心を震わせるものとは少し違う。

やっぱり最後は、“伝える心”だと思う。
そこに温度があるかどうか。
声の中に、その人の時間や想いが滲んでいるかどうか。

昔、オアシスのリアム・ギャラガーが言っていた。
「チューイングガムみたいな歌と、コースディナーみたいな歌がある」って。
この比喩が、どうにも忘れられない。

チューイングガムのような歌は、口にした瞬間に甘くて楽しい。
明るくて、軽やかで、聴いたそばから気分が上がる。
でも、味はすぐになくなってしまう。

コースディナーのような歌は、最初は地味で、派手さがない。
けれど、時間をかけて味わうほど香りが深まり、
聴き終えたあとに静かな余韻が残る。
一瞬の刺激ではないけれど、
心のどこかにゆっくり沈んでいくような感覚だ。

今はサブスクで、音楽を好きなだけ聴ける時代になった。
世界中の曲がタップひとつで流れ、
他の曲へもすぐに行ける。
便利だけれど、“心の奥で鳴る一曲”に出会う機会は減った気がする。
味見するように次々と聴いて、
じっくり味わう前にページを閉じてしまう。

それでも、たまに出会う。
ふと流れてきた曲の中に、
心のどこかをそっと撫でてくるような歌がある。
それは、うまさではなく、
誰かが本気で伝えようとした“跡”なのだと思う。

チューイングガムのような楽しさも嫌いじゃない。
でも、時々、あの静かなディナーのような歌に出会いたくなる。
そして思う。
そんな“琴線に触れる歌”を探す旅こそ、
大人になっても心の奥にワクワクを残してくれているのだと。

執筆者:飛蝗
SEO対策やウェブサイトの改善に取り組む一方で、社会や経済、環境、そしてマーケティングにまつわるコラムも日々書いています。どんなテーマであっても、私が一貫して大事にしているのは、目の前の現象ではなく、その背後にある「構造」を見つめることです。 数字が動いたとき、そこには必ず誰かの行動が隠れています。市場の変化が起きる前には、静かに価値観がシフトしているものです。社会問題や環境に関するニュースも、実は長い時間をかけた因果の連なりの中にあります。 私は、その静かな流れを読み取り、言葉に置き換えることで、「今、なぜこれが起きているのか」を考えるきっかけとなる場所をつくりたいと思っています。 SEOライティングやサイト改善についてのご相談は、X(@nengoro_com)までお気軽にどうぞ。
飛蝗をフォローする
エッセイ
シェアする
飛蝗をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました